美しさと怖さの秘密

 『まどのそとのそのまたむこう (世界傑作絵本シリーズ)』に出会い、これは尋常な絵本ではないと思った。可憐な子どもの絵本に、死神を想起させるマント姿のゴブリンを描くなんて、どう考えても普通じゃない。洞くつの描写には、何かグリム童話にも通じる暗さがある。主人公は、ゴブリンに誘拐された赤ちゃんの妹を取り戻そうとする女の子。親として、誘拐、闇、黒い影など何となく背筋の寒くなる不思議なイラストにショックを受けたが、娘は表情豊かな赤ちゃんの描写に相当魅せられたようで、この作品は彼女から何度も何度も繰り返しリクエストを受ける絵本でもある。
 緻密で神秘的なイラストと意味深げな文章の裏には何が隠されているのか。ウェブで調べてみたら、衝撃的な事実に突き当たる。ある米国の子ども向け学習サイト、作者紹介のページには、こんな風に記されていた。『まどのそとのそのまたむこう (世界傑作絵本シリーズ)』は、『かいじゅうたちのいるところ』『まよなかのだいどころ』と合わせ、センダック3部作と呼ばれ、これらは「子どもに本能的な恐怖を感じさせる作品群」と指摘されている。なるほど、そうかもしれない。怪獣も、キッチンも、静かな夜の闇に包まれ、笑顔は見えるけれど明るさ100%ではない。加えて本作品など、美しいけれど、わたしにしてみれば恐怖そのものである。表面的には、さらわれた妹をモーツァルトの調べに乗せて無事助け出すストーリーだが、ベールに包まれているような暗さはどのページにも必ず感じられる。
 解説によると、この絵本の発端は、センダックが幼児期に体験した「リンドバーグ赤ちゃん誘拐事件(1932年3月1日)」のトラウマにあると言われている。世界恐慌の直後、社会情勢が不安定だった当時、米国の飛行家チャールズ・A・リンドバーグの1歳8か月になる赤ちゃんが何者かに誘拐・殺害された事件は全米中を震撼させた。恐慌後のことは、わたしも義父母など家族から話を聞いていて、誘拐・身代金要求事件がひんぱんに起きていた事実は十分に推測できる。この時代に幼児期を過ごしたセンダックは、誘拐の恐怖から非常に大きな精神的外傷を受けたという。その内面心理を投影させたのが、この作品ということだった。絵本の歴史の中で、現代絵本の先駆者といわれるセンダック。彼のインタビュー記事に「自分は子どものために絵本を作っているのではない」といった内容の一言があった。幼い頃に体験した恐怖心、感情の起伏を思うと、その真意も十分に理解できる。
 作品自体、センダックの芸術性の高さを示す、宗教画のような美しさをも持ち合わせる華麗な絵本である。イラストと文章は、さまざまなことを暗示、象徴していて、読み解くのに時間がかかる密度の濃い絵本ともいえる。美しさと怖さ――こういったセンダック作品が小さな読者を魅了する理由は、恐怖の存在を隠すよりも、恐怖も存在することを示すありのままの姿勢にあるのだろう。恐怖も現実であるという描写が、子どもの心を深く引きつけるのだと思った。
 それにしても、利用したこの学習サイトの完成度の高さといったらない。米国では「作品を通して作者と知り合う」ことも読書の柱になっているので、こういった作者紹介のページは、それは充実している。ウェブばかりでなく、雑誌などでもそうだ。小学生向けどころか、大人でも十分に勉強になるサイトだった。(asukab)

Outside Over There (Caldecott Collection)

Outside Over There (Caldecott Collection)

 学生時代、『センダックの世界(原書:The Art of Maurice Sendak)』(邦訳版は岩波書店、1982年)が出版され、即購入した。リンドバーグ事件のことは子どものサイトにも載るほどのエピソードなのだから、きっとこの本に記されていたに違いない。絵ばかり眺めていて、よく読んでいなかった自分を今になって反省。(asukab)

The Art of Maurice Sendak

The Art of Maurice Sendak