無の境地

 おととい義父が亡くなる。死因は心不全。義母はこの1か月の間に夫と実母の2人を失った。いかついテキサスの大男という風貌だったけれど、最期は小さな心臓がその体を維持できなかった。だからだったのかな、知らせを聞いた日に選んだ本は『ぞうのさんすう』。娘といっしょに読む。(息子にも読みたかったけれど、サッカーキャンプ)
 これは1頭のぞうのお話。毎日おなかいっぱい草を食べ、眠り、起きて牙を磨き、水を100リットル飲み、うんちをする。最初の年は1日に1個のうんち。次の年は1日に2個のうんち。3年目は1日に3個のうんち……年毎1個ずつ増えていくうんちの総数は50年経つと465375個。娘はうんちの山を見つめてただただ驚くばかり。(世の中で1番大きな数をずっと知りたがっていたので、このうんちの数が1番大きい数かもしれないと喜んでいた。)ところがある日、増えると思っていたうんちの数が逆に減り始める……。
 哲学的絵本と言われている作品。実は、わたしにはまだわからない点がいくつかある。このうんちの数の減るところは単純に体の衰え、それとも智恵者となった余裕? 最後の「ぞうは しあわせでした。100年いきてみて、やっとゼロというものが わかりました」の意味は、無の境地、真の幸せの境地に至ったんだと、すうっと心に染み入ったけれど……。「50−50=0」の「0」の意味はわかるけれど、「50−50」の意味がまだわからずにいる。小さな頃のぞうは、うんちを見て大喜びしていた。これが、生きる証明としての喜びだとしたら……。息子には、最後に「0」になる壮大なぞうのうんちの算数を、すべて式に書き出してもらおうと思った。
 義父は、ぞうのような一生は送れなかった。自分の老年や人生について、考える1日になった。(asukab) 

ぞうのさんすう

ぞうのさんすう