大人だったら、さらに味わえる絵本#2 センダック・ファンに

 巨匠の最新作『Bears』が出た。わずか27語で表されるナンセンスな言葉遊びはルース・クラウス*1作。この詩自体は1948年、フィリス・ローワンドのペン画によるイラストですでに発表されているものだ。「bears」と韻を踏む詩をセンダック流に解釈するとどうなるのだろう。販促用の特別な化粧箱に入れられて書店にお目見えということだから、出版社の力の入れ具合もよくわかる。ファンだけでなく誰もが注目する作品であることは明らかだ。なぜなら、ここにはおなじみ白のコスチュームをまとった、あのいたずらマックスが登場するのだから。
 わくわくしながら購入したけれど、評者が指摘していた箇所を見て、やはりこれは巨匠だから許される作品なんだろうという感想を持つ。読み返せば読み返すほどセンダック独自の無垢な邪悪と遊び心があちこちにひしめくのが見え、拒絶反応を起こす人(特に米国で……)がいても不思議ではないと感じた。以下の展開はイラストから推測したわたしの解釈である。
 センダックのくま物語は表紙から始まる。テディベアといっしょにベッドで休むマックスを見て嫉妬心を抱くのは傍らの黄色い犬。中表紙に移り、読者は首吊りにされたテディベアを目にすることになる。これは多分、犬の仕業だろう。可愛そうにとほおずりをするマックスを見て犬はまたまた嫉妬。そこでテディベアを盗み、どこかへ連れて行こうとする。マックスはテディを探しに後を追いかけて行く。この間に出てくるのはくまの集団だ。薄笑いを浮かべ眉をしかめしながらの登場で、この表情には考えさせられた。これは「テディを大事にしなきゃいけないよ〜」という警告のメッセージなのだろうか。
 状況は韻を踏みながら筆記体で綴られる言葉通りに展開されるが、slapstick comedy(脈絡のないどたばた喜劇)ということでセンダックの遊び心があちこちで躍っていることがわかる。イラストは柔らかい黒のクレヨンと水彩で描かれ、リラックスして筆を進めた流れが伝わってくるようだ。自分の気分そのままを投影した作品なんだろう。
 中表紙の首吊りに関しては、センダック曰く「テディは死んでいるわけではないよ」とのことで、子どもの遊びを意識しただけに過ぎないという。でも、多くの評者は、小さな子ども向きのイメージではないと指摘していた。他には犬のつぶやく「DUMB」の表現、くまたちのタバコを吸う姿なども挙げられていた。「DUMB」はわたしも受け入れがたい、子どもには聞かせたくない言葉である。タバコの場面は30年代、40年代あたりの葉巻のスタイルで表されていることから、過去の事実として伝えることができると思った。(でも、先日娘が、犬が葉巻をくわえている、息子のゴルフ・クラブカバーを指さして、「これ、何?」とつぶやいていたから、親としては小さな頃には知って欲しくないものだなとは思う。こちらの認識では幼少期に日常で見せたくないもののひとつであることは確か。)
 ネガティブなことばかり書いてしまったが、全体の画風にはぬくもりがある。つまり、ここがセンダックの特徴だろう。テディの柔らかさとマックスの思いやり、そして犬の邪険がいっしょになった、センダックならではのいたずら絵本という感じである。マックスのことを知っていたら、さらに味わえることは間違いない。センダックを理解した大人が楽しむ絵本として、かわいらしく仕上がっている。(asukab)

Bears

Bears