映像と絵本・児童書の考察
「ナルニア」――息子が見に行ったけれど、どうも映画館に足を運ぶ気になれない。どうしてかな。「チョコレート工場」のときはルンルンという気分だったのに。予告で目にしたとき、描かれ方が「指輪物語」みたいでちょっと引いてしまったのかも。トールキンの映画は、歯医者さんの治療中、めがねっぽいものをかけて異次元空間を覗くような装置で見た。というか、この手のファンタジーが苦手だからか(めがねのせいだったかもしれない)実は最後まで見ることができなかった。食わず嫌い? いずれにしても作り物という感じで、現実との接点を見出すことができない。
一方、ナルニアの原点は信仰なので、こちらはここでひっかかっているのかも。自分の教派から生まれたテーマがどんな風に描かれているのか。自分の生き方が、まだ整理できていないこともあるかもしれない。C.S.ルイスの特集が雑誌にあったので、これについてはいつか書き記そうと思う。
それで今日は、映画と絵本・児童書の比較である。とりあえず、何も考えず思いつくまま書き出してみることにした。
項目 絵本・児童書 映画 歴史 長い 短い 表現メディア 文字 映像 素材 紙 光? 感触 さわれる さわれない 音 紙をめくる音、まわりの音 映画中の音、音楽、会話 登場人物 静止だが想像の中で動き出す 見たままに動く 描写 書き言葉・文章 話し言葉・歌・音楽 携帯 持ち歩き可能 持ち歩き不可 イメージ 想像に任せ広がりがある 描かれた印象が残る 時間 自分のペース 映画のペース
当たり前のことだが、単純であればあるほど可能性は無限に広がる。あらためてリストなど作らなくても、映像より本のほうが想像力を掻き立てることはわかりきっていることだった。でも、まあとりあえず挙げてみれば、やっぱり見えてくることもある。「思いやりとは、想像力」――この力を養うために本がどれほど貢献するのか、再確認できただけでも収穫があったことにしよう。
そういえば、某書店での講演会で本と映像についての話題があった。過去10年単位で米国高校生の語彙力が1000語ずつ落ちてきているそうだ。後退ぶりは、映像文化の興盛とぴったり当てはまるとのこと。この現状を受けたかのように、「小さな頃から映像ばかりに触れていると、多くが損なわれる」と主人や友人を含めたまわりの教育者たちが声を揃えて言っている。映像をきっかけに本を読むのならいいけれど、映像のみだったら……。これが1番大変な結果を招いてしまいそうだ。心と言葉に大きな弊害が生まれることになる。「たとえ嫌いでも、どんな事情があろうとも、本は読まなきゃいけないもの」という認識が米国にはあるので、親にとってこの切り札は救いかもしれない。
おまけ。これが映画でなく演劇との比較になると、演技や音楽、舞台鑑賞が目的になるからか、別カテゴリーとしてすんなりと書物のように受け入れられる。あくまでも私見にすぎないけれど。(asukab)