子どもの祈り

 日本語でないと伝わらないものに「祈り」がある。英語の祈祷書で唱えていても、実はいまひとつ心に響いていなかったりする。(ところが聖歌となると、英語のほうが泣けてしまうのはなぜか。じんと胸の深いところに言葉とメロディが入り込んできて、目頭が熱くなり歌えなくなることがしょっちゅうだ。歌って泣けたことって、日本ではこれほど頻繁になかったなあ。まだ人間的に子どもだったから? 文語訳のなせる弊害か?……閑話休題。)
 『Prayer for a Child: Diamond Anniversary Edition』の邦訳『おやすみかみさま』が出たとき、これは絶対手に入れなければと思った。原書表紙、お祈りする女の子の後ろ姿が好きだったのだけれど、あまりキリスト教色の出ない、安らかに眠りにつく女の子の表紙のほうが日本向きなのだろう。実際、邦訳を購入して大正解。英文併記である。「Bless ---.」を「ありがとう」と感謝の心にした日本語が自然だった。願望を表す「〜よう」は「〜ように」のほうが子ども向きかもしれない。子どもってこういうところ、強調したがるから。でも、詩と考えると「〜よう」のほうがきれいである。 
 「主の祈り」のようなよく知られた祈りは、どうも自分の属する教派の言葉で唱えないと落ち着かないのだけど――慣れたら問題ないけれど、最初は違和感に襲われる――、この子どもの祈りはとらわれるものなく心に浸透していきそうだ。ただ、初版が1944年で第2次世界大戦まっさかりの頃。イラストから垣間見られる米国の良心をどう捉えるか――。
 息子も娘も、お祈りが大好きである。とくに就寝前の終祷。お祈りといっても、ベッドで1日を振り返って感謝し、明日もよき日となるよう会話を持つだけ。でも、この「アーメン(そうなりますように)」で終るひとときがあるとないとでは、眠りに至るまでの時間の流れ方がまったく変わってくる。実際、わたしもそうだった。
 真の祈りは、行動を伴う。自分だけでなくまわりも見える人間になり、祈りとともに道を歩んで欲しいと願う。(asukab)

  • 邦訳の書影がないので、原書60周年記念版で

Prayer for a Child: Diamond Anniversary Edition

Prayer for a Child: Diamond Anniversary Edition