愛を探して

 飛行機の中で、ディカミロの最新作『The Miraculous Journey of Edward Tulane』(邦訳『愛をみつけたうさぎ―エドワード・テュレインの奇跡の旅』)を読んだ。熱い涙がぽろぽろ。持ち主が変わるたび、さまざまな愛情のあり方を体験してゆく陶製うさぎの人形エドワード・トゥレーンが主人公である。表紙の幻想的なイラストから、すでに酔わされていた。
 エドワードは顔も手足もすべて陶製の、背の高い(身長1メートル近く)うさぎの人形。シルクの上下を身にまとい、皮製の靴をはき、金色の時計をポケットに入れた姿は、華麗で気品にあふれている。持ち主の女の子、10歳のアビリーンは、祖母ペレグリーナから贈られたエドワードを心から慕い、彼はそんな恵まれた平穏な日々を当然のことのように過ごしていた。ところが、アビリーン一家がロンドンへ向かう船旅の途中、エドワードは少年たちにからかわれ、不運にも海に放り投げられてしまう。ここから、エドワードの奇跡の物語が始まる。
 タイトルにある「奇跡の旅」から設定そのものは見えているのだが、物語にどんどん引き込まれた。理由はたぶん、ディカミロの描写スタイルにある。わたしなりに感じる彼女の特徴は「シンボリズムの多用、簡潔な文体、詩的な言葉の選択」の3つ。その結果、文章全体が散文詩のようで、詩情漂う光景が豊かに浮かび上がる。何度も味わい唱えたくなる表現があちこちにちりばめられていて、読み物を楽しむというより絵本を楽しむような哲学的空間が存在した。
 そして、核心をつく強いメッセージ。原石のような澄んだ輝きを放つ理由は、ディカミロの執筆姿勢にもある。「仕事であろうとなかろうと、一生子どものためのお話を書き続ける。それだけは確か」とインタビューで語っていた信念がデスペローと同様にこの物語を執筆させたのだと思う。
 また両作品の擬人化も、個人的に花丸。イメージが何倍にも広がっていくから、この類のお話はわたし好みなのだった。人形やおもちゃが主人公になる物語は児童文学の典型で、おもちゃの視点から描かれる彼らの境遇は、幸せなものであったり、悲しいものであったり。持ち主が知らない間におこるできごとだけに、読むほうもさまざまな空想を重ねてしまう。話せないけれど、心中を告げるエドワードのつぶやき、疑問、叫びは、時として胸に突き刺さり、子どもだけでなく大人にも「ほんとうの愛」について考察させてくれる。エドワードの心的変化を描く心理小説は、「愛とは何か」を読者にも示す。愛のあり方を学んでいく過程は、わたしの学びにもなった。
 胸が熱くなるのは、コーダ(結び)でもそう。アビリーン、漁師のローレンス夫妻、放浪の旅人ブルと愛犬ルーシー、そして薄幸の兄妹ブライスとサラ――。エドワードの持ち主を振り返るだけで、家庭的な愛、仲間・友情、献身の愛がよみがえり、ほろり。時間を経た愛が描かれるだけに、深さがじんわり染みてくるのだ。「心を開けば、必ず愛が訪れる」とエドワードに諭したアンティークの赤ちゃん人形は、もしやサラの父親が酔った勢いで壊してしまった人形ではなかったか、と思いがよぎった。
 200頁の作品だが、行間を空けていることもあり短い秀作という印象が残った。カラー10枚のイラスト、各章扉28枚の繊細で写実的なイラストが美しい愛のお話をさらに昇華させ、厳しい場面もあるけれど、夢を見ているような物語に仕上がっている。
 蛇足。WBC日本優勝を見てイチローとディカミロを結びつける。自分の使命を知り、一心に目標に向かう気迫は両者の共通点かな、と。イチローの気合は、すごかった。高額契約だけに満足している大リーガーたちへの注文でもあった? 勝利を彼ほど真剣に捉えている選手って、今のMLBにいるだろうか。地元でイチローを見守れることに感謝。(asukab)

The Miraculous Journey of Edward Tulane

The Miraculous Journey of Edward Tulane