ジャッキー・ロビンソンの1947年

 息子といっしょに『Jackie's Bat』を読む。1947年は、米大リーグ初の黒人選手ジャッキー・ロビンソンのデビュー年。人種差別が当たり前だった時代、彼がどのようにその壁を崩していったのか――ジャッキーの残した歴史は、ブルックリン・ドジャーズのバットボーイになった少年の目を通して、史実に沿いながら語られる。
 この年、他の選手はスプリング・トレーニングからジャッキーとチームメイトになりたくないことをあからさまにしていた。クラブハウスにジャッキーのロッカーはなく、ただ壁に釘が打ち付けられているだけ。バットボーイになり張り切っていたジョーイも、父親から「黒人のために働くな」ととがめられていた。だから、ジャッキーに話しかけられると無視し続け、バットも靴も彼のものだけは整備しなかった。遠征先でジャッキーはホテルもレストランも他選手とは別々になる。ひとりだけ有色人種用の施設を利用しなければならなかったから。けれども、目を見張る彼の活躍と懸命さは、少しずつまわりの人々の心を動かしていく。ナ・リーグ優勝、対ヤンキースとなったワールドシリーズ、新人賞獲得……、ジャッキーは確実に大リーグ史だけでなく米国社会に大切な足跡を残していった。
 伝記絵本はたくさんあるけれど、この絵本の特筆すべき点は読者と同じ年頃の少年の語りを通してジャッキーの人間性が伝えられていることだろう。実際、バットボーイとの間にこういう会話があったかどうか定かでないと作者は語る。けれども背景にあった差別的な社会性、フィリーズ戦で起きた罵倒、蔑視発言や、殺人脅迫、いやがらせのため警官が配備されたことはすべて事実である。1試合6死球、故意の危険なスライディングなど、試合中にも危ない体験は何度もあり、米国球史の恥部が包み隠されることなく描かれる。
 作中のジャッキーの会話は、実際の発言から引用された。だからこそ、それはまるで実況中継のようで、どんな劣悪な状況下でジャッキーがプレーしていたか、子どもにも大人にもそのまま伝わってくるのだった。息子もジャッキーの話は、もちろん知っている。でも、この絵本のおかげで、さらに「背番号42」の残した歴史的意義が実感できたのではないか。 
 本日は、リトル・リーグ開幕日。残念ながら試合は雨で中止になったけれど、息子は誇らしげにドジャーズの青いユニフォームを着て写真撮影だけ済ませてきた。そう、彼の所属するチームは偶然にも、ドジャーズ。ジャッキーの在籍したチームだから、その特別さがうれしいようだった。
 3日月曜日は、MLB開幕日。セーフコフィールドの左翼席に、MLB永久欠番「42」が掲げられている。これに合わせ、主人もクラスでこの絵本を読むと言っていた。(asukab)

Jackie's Bat

Jackie's Bat