Miss Bridie Chose a Shovel

 『Miss Bridie Chose a Shovel』(邦訳『ブライディさんのシャベル』)は、1本のシャベルを通してヨーロッパ移民の開拓生活を伝える絵本である。
 若きブライディさんは、チャイム時計や陶器を選ばず、1本のシャベルを持って米国に旅立った。新天地での生活はまず、シャベルを使っての庭作りから始まる。冬には雪をかき、結婚したら畑を耕しと、シャベルはいつでも暮らしの必需品。彼女の生涯はシャベルの働きに象徴されるように、目の前の生活を切り開いていく日々の連続だった。
 ちょうど内田先生のブログで、「ロハス(Lifestyle Of Health and Sustainability)」に伴うヨーロッパ移民による自然破壊の記事を読んだ。確かに西欧の傲慢さは200年の間に、北米の自然を破壊し尽くしてきた。ブライディさんの生き方もその一端と言ってしまえばそれまでだ。でも、それを続けた結果、己の愚行に気づき、間違いを改めようとする姿勢に悪気はないと思うけれど。昔ながらの生活を送りながら環境保護に努めている(とくに当地の)人々の質素な生き方など、逆に感銘を受けるほどである。
 「自然を破壊することをナショナル・アイデンティティの基盤に組み込んでしまった社会集団がそれを否定することは、彼らの存在そのものの否定につながる」とあるけれど、分別のある人々はそんなものとうに否定して生きていると思う。(以前にも書いたが)アメリカ人とは何なのかわからない人ばかりからなる国に、ナショナル・アイデンティティも何もない。星条旗の下で忠誠を誓い、米ドルを信奉しても、それは単なる形骸化であり、アメリカ人の中身など日常を生きる人々はきっと誰もわかっていない。
 いつも気になる点は、「アメリカ人」と一くくりにして一般化する傾向だ。米在住者として違和感を覚える表現である。内田先生のおっしゃるアメリカ人とは、政治経済を動かすヨーロッパ系上層部の人々のことだろう。この国の一握りの人間が残した歴史をあたかもすべての人間がそうであったかのように表現する論法に偏りを感じてしまう。(わたしも渡米する以前は同じように、外側からだけの印象で「アメリカ人」とくくっていたから。)では、米国は国としてどうすべきなのか、ゼミの一生徒となり質問してみたくなった。
 ブライディさんのシャベルのお話から、随分逸脱してしまった。文章がさっぱりしているので息子から「これ、ポエトリー?」と聞かれる。抑揚がつけやすかったので、詩の朗読みたいに聞こえたらしい。(asukab)
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ブライディさんのシャベル

ブライディさんのシャベル