言葉は心 心は人 つまり言葉は人

 日本語を書くことで出力しても、話すことで出力する機会がない。日々話す相手は子どもたちなので、社会的な立場に置かれる状況下で話す機会がない。「言葉は心、心は人、言葉は人」――。わたしの場合、「言葉は人」の部分が著しくバランスに欠けている。話す機会を損じているからだ。書くことでは補えないだろう。こういうときに友がいてくれると人生ばら色なのだが、同じ価値観の人間に出会うことは日本国内でも難しいのだから、ましてや……という悲壮感にくれる。春よ来い、早く来いの気分。