地元図書館訪問

 2年生のクラス20名で地元図書館を訪ねた。目的は、現在ライティングのクラスで取り組んでいるリサーチ用のノンフィクション本を借りるためである。うーん……というか学校図書館の範囲で十分なのではないかと思ったが、社会体験の一環という担任の要望で生き帰り正味40分の徒歩で実行に移された。(今振り返って思うのは、前日に訪問計画を伝えてくれてもよかったのじゃないかということ。もし、わたしが突然の都合で行けないとなったら、20人を一人で引率することになっていた。「この質のグループで一人」というのは非常に怖いことで、避けるべきことだ。)
 幼少期から基本的なしつけの欠落している子どもたちが公共の場に出かけると、連れて行ってもらった体験に乏しいので興奮して大人の話していることが耳に入らない。よって……:

  • 「一度出した本は自分で戻さず指定の机の上に置く」ように言われているのにできない。書架をぐちゃぐちゃにしてしまう。
  • 探しているテーマの本を見つけると、どさどさと全部取り出し、中身を吟味せず全部借り出そうとする。ノンフィクション絵本は一般用の書架にあるので、レベルが難しい本も多く混じっている。結局、後で読めないことがわかり、「この本はいらない」と戻すことになる。
  • 自分の本が探せていないのに、おせっかいで人のテーマ本を見つけて喜ぶ。限られた時間内に人のことばかりが気になって自分の本が探せない。
  • 図書館カードの使用法を知っていると豪語し、結局何も知らず、貸し出しカウンターで大遅滞を招いた。大人に任せておけばいいものを、余計なところでスクリーンに手を出してボタンにタッチしようとするので、何度もキャンセルしなければならなかった。ピン・ナンバーが何なのか全くわかっていないので、これは担任の先生が確認しておいて欲しかった。

 ……というわけで、わたし的にはフラストレーションの塊となってしまう2時間の訪問だったのだが、当の子どもたちは大満足で現在、リサーチに取り組んでいる。社会に自らの恥部をさらし、危険を冒して図書館に足を運んだことで、他人に迷惑をかけながらも実りを得ようとしているこの現状。一般化できないけれど、ガタガタしながらそれでも学んで何とか形になっていく姿は、何かこの国の一スタイルだと思った。
 若い担任だったからこそ怖いもの知らずで実現してしまった訪問だと思う。主人は「自分なら、もっと大人の目がなければ実行しない。子どもたちを少人数に分け、夫々に大人を一人置く。特に遠足なら、なおさらに」と言っていた。