まとまろうとしない大人

 本日2・3年生のクラスは担任が休みで、この春から実習を続けている実習教員を中心に授業がなされた。もちろん正規教員である担任の代わりということで、代替教員もついていた。……で、この代替教員の態度に、わたしは疑問を感じずにはいられなかった。
 午後の科学の時間。この日は、毎週3回ボランティアに来ている教育学部の学生が授業アイデアを出し、彼女がリーダーとなり教案を実践した。「冷温での魚とこおろぎの活動変化」を観察する授業である。授業自体はよく計画が練られ、準備万端でスムーズだった。しかし、問題は……代替教員の態度である。午前中の読みの時間から、まったくクラスに参加しようとせず、ひたすらコンピュータの前に座り画面で何かを読んでいた。それも作業なのかと思っていたが、午後になり、この授業無視行為はまったくの個人的な行動であることがわかった。
 クラスには4つの観察用テーブルが用意され、各テーブルに大人を一人つけるようにというのが担任の指示だった。実習教員が代替教員にその旨を告げても、彼女はときたまテーブルにやってきて、二言三言生徒につぶやいたかと思うと再びコンピュータの前に座ってヘッドフォンを付け、画面に見入り出すのである。
 授業指導・参加の拒否? 20年以上の教員経験があるので、生徒指導はお手の物である。科学の授業が終わり、休み時間を迎える直前、彼女はやっとコンピュータを離れ子どもたちの前に出てきた。騒がしくしている生徒たちを整列させる際の技量は、やはり経験でなければなせない見事さだ。でも、だからと言って、授業にまったく協力しない態度って、どうなのだろう。
 休憩時間中、すばらしい教員生活を送ったこと、修士号を持ち、低学年への授業はアート(音楽・美術・教養)を通してなされるべきであることetc.など持論を伺った。なので、「指示ばかりで課題を押し付けるだけの授業は、教育でない」という批判が聞かれた。「前日訪れた1年生のクラス担任は最高の教育を行っている」と褒め称えていた。要するに、自分の指導スタイルと同じということらしい。
 過去に華やかな業績を残す、すばらしい先生なのだと思う。し・か・し、かなりの日当が支給されているにもかかわらず、まったく授業に参加しなかった事実って? 主導した実習教員のやり方が自分とは違うという理由だけで、無視や拒否してもいいわけ? 教師としての技量は最高なのだろうけれど、4人の大人がいた教室で、まとまろうとしなかった代替教員の「自信たっぷりの笑顔」が不気味に見えた。