Room105 うるさい教室

 主人の担任するクラスについて、いつか記しておきたいと思っていた。まったく不思議なクラスなのである。たぶん学校一、騒がしくて、うるさくて、まとまっていないクラス。ところがその反面、学校一、学力成果*1が上がっているクラスでもある。
 学校一まとまらない理由は、生徒の学力差がばらばらな一言に尽きる。特別学級の生徒が4人、移民家庭で英語を第二外国語としている生徒が5人、2年生と3年生の混合クラス、学力の高い生徒は来年度から他学校の英才クラス入りが決まっていて、その中間に、まあまあ勉強についてくる生徒とまったく勉強に興味のない生徒がいて、全体で見れば5層から6層ぐらいに分かれるとんでもないクラス編成になっている。
 このようなクラスは他の学級にはない。経験があるという理由だけで校長の信頼を買い、主人のクラスは毎年混沌とした雰囲気に包まれる。宿題もプリントも個別に何種類も用意しなければならず、傍目から見ても、これは大変な作業である。他にこんなに何種類も準備している教師は、今のところ出会ったことがない。でも、この個別指導を続けているからこそ成果が上がっているのも事実。一方で加齢とともに限界が見えてきているので、頑張れ〜と大丈夫かな〜にサンドイッチされ結構複雑な気持ちになる。
 米国では日々、新しい教授法が提案され、教案本がたくさん出版されている。しかしながら主人曰く「使えるものは皆無」とのこと。最初は新しいアイデアを受け入れようとしない彼の態度がつまらなく思えたが、この社会層に触れているうちに、その理由も見えてきた。このグループに欠けているのは基本的な生活と学習の力と決まっているので新しい発想は必要でなく、この環境で通じない表層の教育論は本物じゃないというのが彼の本音である。
 あと何年、このうるさい教室で教えるのだろう。こういう底辺層に触れる作業は若いうちにしかできないというのが、ここ最近の実感だ。でも、疲れるばかり、イライラするばかりの教室なのだけれど、多くを学ばせてもらっていることは確か。その意味で感謝したいと思う。

*1:あくまでも学力の伸びが急激なわけで、そのレベル云々に話は及ばない。学校自体フリーランチ70%以上で、生徒層は移民、低所得・ホームレス家庭。主人にとりここで教鞭を取ることは生活収入を得ることより人助け的な意味合いの方が強く、わたしもそんな気持ちでチューターとして働いている。