老後のメンタルイメージ

 “若者的なる者が消費する”という概念 - Chikirinの日記を読み、終始首肯しっぱなし。とくに田舎のおじいちゃん、おばあちゃんたちは、老後=孫しかないのだろうなあといろいろ思い描いた。
 米国の場合、自分の住む地方都市に限ると、今こそ消費のときとばかりに、みなシニアライフを謳歌している印象だ。資産を持ちながら消費しないシニア層も存在するだろうが、持つ人は使い、持たない人は使わない二分化が割りにはっきりしていると思う。芸術系の鑑賞に始まり、旅行、食事、スポーツ観戦など、どこでもシニアグループのまわりには笑い声が絶えない。
 顕著なのがクラシック音楽、バレエ、オペラの芸術系エンタテイメント。とくにオペラは99%がシニアと断言したいほど、おじいちゃん、おばあちゃんたちが埋め尽くしている。クラシックの演奏会も、ほぼ90%の顔ぶれがシーズンチケット購入者のシニアである。あとは、ピアノ教室の生徒さんらしき親子連れや音楽学校の学生とかがチラホラで。子どもや若い人が周りに見えないこの傾向に最初は驚いたのだけれど、最近は富裕層のほとんどがシニアと知り納得していた。
 日本だったら、クラシックは女性客が多かったなあと振り返る。中学や高校、コミュニティオーケストラ活動が盛んでクラシック音楽が日常化している当地では、若い人々は高額を支払ってまでこぞって一流の演奏会に出かける必要性をあまり感じていないみたいだ。優先させたいものが、他にあるということで。
 老後は、というか、老後も、メディアの消費活動には左右されず自然の中で静かに過ごしたい。ホームレスの人たちとのつながりを覚えながら、できる範囲で、慎ましく小さく生きる暮らし。お金はあればいいけれど、無かったら無いでやりくりしながら、ときどき演奏会に出かけ、あとは絵を描いて過ごしたい。そうそう、豊かな時間のたっぷりつまった絵本に囲まれながら。