先生のお人形

 id:p_shirokumaさんの“あんた、ママのお人形で終わるぜ?” - シロクマの屑籠を読み、これ、うちの小学校でも見当たるケースだなあと思った。この場合は、母親を教師に置き換えるわけだけど。これは、まさに新人教師の一人の指導法そのものである。
 3年前から勤務している彼女は、日系の米国人教員。日本人である母親の影響と察するが、日本のしつけ・教育の仕方を心底崇めており、みごと生徒を手なずけて「ママのお人形たち」を操っている。日本の血を引く誇りなのだろうか、断言はできないが、とにかく日本的な独裁風束縛感を痛いほどに伝えてくれる指導の仕方だ。しかしながら「みんな違って、みんないい」=「まとまらなくて当然」の米国の教室にあり、この統制の取れたクラス運営はたちまち憧憬の的となり、大きな話題を呼んだ。校長ご自慢のクラスで、学校訪問があるとショーケースとなり、わんさかと他校の教師たちが詰め掛けるのである。
 はあー、彼女の教室でチューターするときの、居心地の悪さよ! わたしはこういう、(言い方は悪いけれど)生徒を脅しながら指導する結果に現れる副作用も知っているので、冷や汗をかきながら作り笑いをするしかない。……簡単な問題を間違えると顔に嫌悪を表す、言うことを聞かない生徒は餌(物)で釣る、自分の私生活を暴露し共感を得ようとする、自分の生徒がいじめられたり逆に問題を起こしたりすると、非常に感情的になる、テスト結果を鼻高らかに自慢する、テストでの競争意識が高い、生徒の自主性を謳いながらすべては自分の支配下に……この結果、何だか知らないけれど生徒たちはみな優等生のようになりゴマをすっている感じだ。わたしから観ると醜さの塊なのだが、米国人にはそれが見えない。見えたところで、数字(テスト結果)がしっかりしていれば何も言わないし。
 非常に不愉快。しかし一方で、こういう表裏は、たぶん米国社会、というかどの社会にでも存在するのだろうなあと傍観。ほんとうに毎日、体感したくないものに浸らされている。来年は、違うクラスでのチューター希望。
スタイルの違い……教師中心か、生徒中心か - 絵本手帖