My Uncle Emily エミリー・ディキンソンの意外な横顔

 "My Uncle Emily"を読み、詩人エミリー・ディキンソンの人間味あふれる一面に触れることができた。家族以外に姿を見せることがなかったというディキンソン。隠遁生活に近い日々を送っていた彼女の存在は、とてもミステリアスに映る。白いドレスをまとい、言葉と戯れながらひっそりと過ごした人生から、自分にはどことなく病的なイメージがうっすらとつきまとっていた。でも甥っ子とのエピソードを詩にしたためて絵本化した本書を読み、がらりと印象が変わった。彼女は真に、静かで穏やかな暮らしを愛した心優しい女性だったのだ。おふざけで甥っ子、姪っ子から「エミリーおじさん」と呼ばれていた間柄からも、そんな雰囲気が伝わってくる。

The Bumble Bee's Religion---


His little Hearse-like Figure
Unto itself a Dirge
To a delusive Lilac...

 ディキンソンが6歳の甥っ子ギブに蜂の屍骸と一編の詩を手渡した。学校の先生に渡してちょうだいね、と。詩を読んだギブは、わからないことだらけ。蜂にも宗教があるの? 花にお祈りするわけ? 屍骸は棺に入れるの? (わたしがここで疑問に感じたことは、6歳児がこの語彙を理解できるだろうか?……ということだったのだが、昔の子どもは賢かったのだろうと想定して読み進めた。)
 学校で先生に手渡すなんて、気が重い。それでも母親からなだめられ、ギブは言われたとおりにした。この後のエピソードは、自身も詩人である作者の想像が含まれているようだ。クラスでは誰も詩の内容がわからなくて、いじめっ子がギブをからかい始め……。
 描かれるのは、家族に囲まれ、幸せそうに微笑むエミリー・ディキンソンの姿。家族を愛し、家族に愛された、清らかな女性である。ただ、ギブはこの蜂の屍骸エピソードのあった1881年の2年後に腸チフスで他界した。子どもの命の儚さよ。ディキンソンもさぞかし悲しんだことだろう。ギブの死に際して、彼女はこんな風に書き残している。"I see him in the Stars, and meet his sweet velocity in everything that flies."
 本作品はディキンソンを描く絵本らしく、散文詩の形式でつづられる。確かなデッサン力に裏打ちされたイラストが、時代を生き生きととらえている。
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17 Things i'm not allowed to do anymore 大いに疑問の残る絵本 - 絵本手帖
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 追記:蜂の屍骸と言えば志賀直哉の「城之崎にて」――小僧の神様・城の崎にて (新潮文庫)。蜂は文人の心をそっとしておかない。死が傍らに寄り添っていたからこそ、か。明治書院の「国語精選」教科書が懐かしい。
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My Uncle Emily

My Uncle Emily