菓子ひなみ――絵本ではないけれど、絵本のページをめくるように手にしている和菓子の暦

 この一文を読み、アマゾンに直行したのが2年前。

 本書は、二〇〇六年一月より十二月まで、『京都新聞』朝刊一面に掲載されたコラム「菓子ひなみ」に加筆したもので、祭事・年中行事などは、二〇〇六年度の暦に準じています……

 京都に暮らしたことのある者として、『菓子ひなみ―三六五日の和の菓子暦』は手にしなければ少なくとも日々の幸福の半分ぐらいは失ってしまうかのような本である。帯には「日次(ひなみ)につづる和菓子の365日。一日一菓、季節の便りを暦に添えて――」。京滋の和菓子は色形を目にするだけで、名称を耳にするだけで、至福のひとときを与えてくれる。それぞれの生まれから土地の歴史も垣間見ることができ、季節の巡り、暮らしの営みと合わせ、古都の今昔が目の前に現れる。今のわたしのまわりにはない、和の世界。
 本日、久しぶりに歌会に参加した。何年ぶりだろう。初めて出席した頃、娘はまだ赤ちゃんだった。
 欠詠の続いた理由がよくわかった。歌は心といいながら、わたしは心よりも言葉に夢中になっていた。だから「あなた、それを続けていると、詠めなくなるわよ」の先生の一言は、まさに的中だった。
 2度目の長期欠詠に突入して何年? 父も母もわたしの欠詠に怒ってしまって、昨年は非常に気まずい時期が続いた。多忙を言い訳にしていたけれど、結社社友3代目の自負もあった。凡庸な歌は詠まない、と。詠めない理由は、心の欠如。自然に素直に無為に詠めばいいのだ。会のみなさんと新年のお祝いをしながら、心機一転、新たな気持ちで歩もうと誓う。差し当たり、さっそく七首詠草。今日の心境を詠んでみてもいいか。締め切りは15日。は……、締め切りの期日さえおぼろげになっていた。
 今日はオレンジを器にしたオレンジゼリーを持参して好評だった。歌会の日は毎月和菓子を作り、みなさんに味わってもらおうと思った。「菓子ひなみ」を開き、見つけた! 来月如月は椿餅。

菓子ひなみ―三六五日の和の菓子暦

菓子ひなみ―三六五日の和の菓子暦