表層と深層の歌

 欠詠中からずっと感じていたことでもあるけれど最近、歌を詠んでいて感じること――何となく時代に受けそうな短歌は、言葉のチョイスによっていくらでもできてしまう。でも、そんなことを繰り返していて、それが果たして自分の詠みたい歌なのか。自分の心の反映なのか。現身を表層だけで表現していいものか。そんなもの時間がたてば、時代の果てに葬り去られてしまう――などなど。深層で詠まずして、なぜ歌と言えるのだろう。というわけで、ここのところずっと自然に目を向けて、季節を映す自然詠を続けている。
 遅着でもかまわないので、とにかく欠詠だけは避けること。この目標、今年はどうやら達成できそうだ。来年は、遅着を無くすこと、そして20首詠に挑戦すること、の2つ。カタツムリの歩みで前進。