Art & Max アートの真髄

 久々にウィーズナーの絵本を手にして、彼のアート魂を垣間見せてもらったような気がする。"Art and Max"の主人公は、トカゲのアーサーとマックス。アートことアーサーはすでに地位を確立している画家で、マックスはまったくの素人という設定だ。
 舞台はアリゾナニューメキシコ、はたまたテキサスか。サボテンの立ち並ぶ砂漠地帯の一角で、アーサーが肖像画を描いている。そこに「ぼくだって絵が描けるよ!」とマックスが飛び込んで来た。威厳を漂わせるアーサーと、何も分からず自由奔放のマックス。ストーリーはふたりの個性がたっぷりとにじみ出た会話で進む。
 芸術とは何ぞや――歴史の中で繰り返し登場する問いかけが本作でもテーマの核をなす。ここでわたしは小西甚一先生の著作"日本文学史 (講談社学術文庫)"の一節を思い出した。(以下p16から引用)

 ところで、永遠なるものへの憧れは、北極と南極とのように、ふたつの極をもつ。そのひとつは「完成」であり、他のひとつは「無限」である。いま、これを藝術の世界について考えると、完成の極にむかうものは、それ以上どうしようもないところまで磨きあげられた高さをめざすのに対し、無限の極におもむくものは、どうなってゆくかわからない動きを含む。わたくしは、前者を「雅」、後者を「俗」とよぶことにしている。

 つまり、アーサーは「雅」の域、マックスは「俗」の域に立ち、芸術に対峙する状況だ。アーサーはすでに完成を手中にしている状態なのだが、マックスの支離滅裂な発想おかげで新しい可能性に開眼する。画材に通じていないと分かりにくいかもしれないけれど、ここの運びがすごく愉快なので子どもは大喜びだろう。個人的にはアーサーのように「完成」を目指し、確立してから「無限」で遊ぶ流れが理想なのだが、「無限」を繰り返していくうちに「完成」に到達するルートもありかなとは思う。
 いずれにしても、最後は幸福なトカゲが2匹。「雅」と「俗」を入れ替えてアートに取り組む姿で終わる。よかったね、アーサーとマックス!
 ウィーズナーの芸術へのメッセージが込められた絵本。
 本日、初雪。紅葉に雪が舞って、きれい。
amazon:David Wiesner

Art and Max

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