アドベント準備など

 セールで購入した布は全部で11種類。ここから14枚小さいコットン風呂敷を作り、残りは家にあるファブリックとはぎれのパッチワークで24枚完成の予定。娘のリクエストにより日付のタグはつけず、好きな包みを選ぶことになった。現在のところ8枚完成。→クリスマス絵本24冊を布で包むアドベントの過ごし方 - 絵本手帖
 それにしても、何だか知らないけれど、アドベント&クリスマス準備という感覚にたまらなく違和感を覚えている。秋から古今/新古今に親しみ始めたことがあるだろうか。その世界から意識を現実に戻すとものすごい「溝」を感じるというか。現代は近代ヨーロッパ社会の勝利であり、すべてがそれを中心に回っているわけだけれど、その中で和歌の心に親しむ自分がとてつもなく奇妙に思える。というか、歴史を振り返ると日本は、6世紀以降は中国、明治以降は西洋と、常に外国の制度・文化を取り入れることに専心してきた。その結果が今であり、そのような事実は知っていても意識せずに暮らせていた。現在は海外で暮らす身となり、さらに多民族文化の延長線上に生活する。そしてなぜか突然、とてつもないバランスの悪さを味わうことになった。うーむ。
 ところで、娘がホームレスの人たちへのプレゼントとして、手作りカードとグラノラ・バーを入れたギフトバッグを用意していた。全部で6個。街中で出会ったら手渡すのだそうだ。米国の諸都市には基本的にシェルターがしっかり完備されているので、たとえホームレスであってもシェルターに通っている限りストリートで野垂れ死にすることはない。ただ、人間関係に煩わされたくないことを理由にシェルターに入りたくない意思を持つ人々もいるわけで、そこが難しい。警察がシェルター入りを勧めても、拒否する人たちはけっこういるらしい。願わくば、ホームレスの人たちみながシェルターで暖をとり、厳寒の下、ストリートを彷徨うことがありませんように。今週シアトルを襲ったような零下が続けば、ひとたまりもない。もし、クリスマスを過ぎてギフトバッグが余ってしまったら、それは喜ぶべきことだ。現在、うちの教会の駐車場にテント・シティが野営しているので、そのコミュニティーに暮らすホームレスの人たちに分けてあげるといいかもしれない。