Mimi's Dada Catifesto ダダイズムと遊ぶ猫

 ダダイズムって、何だろう? 定義を読み、それなりに理解はしているつもりでも、このアートフォームを身を持って体験したことはない。その定義だが、広辞苑によると「ダダはあえて無意味な語を選んだもの。(……たしか、無造作に開いた辞書のページにナイフを突き刺し、刺されたその言葉が「ダダ」だったという記憶がある……。)第一次世界大戦中から戦後にかけて、チューリッヒからベルリン、ケルン、パリと波及した芸術運動。既成の権威、道徳、習俗、芸術形式の一切を否定し、自発性と偶然性を尊重。意味のない音声詩コラージュ、オブジェ、フォトモンタージュ、パフォーマンスなどを生み、何でも芸術になり得ることを証明した」とある。この謎めいた「ダダ」の響きに導かれながら、"Mimi's Dada Catifesto"を開いた。
 主人公は、ゲイジュツカの心を持った猫のミミ。ミスター・ダダが非常に稀な個性の持ち主だったのと同じように、ミミもちょっと変わった猫だった。
 舞台は1915年、スイスのチューリッヒ。ミミは、ダダイストと呼ばれる人々が、世にも変わったパフォーマンスを披露する光景を目のあたりにする。舞台では、新聞紙のコートをまとい頭に魚を乗せたミスター・ダダが、観客から卵やトマト、チキンの骨を投げつけられていた。お次は、手のひらに乗せた氷を溶かして見せる「最新作の彫刻」と称されたショー。嘲笑し激怒する観客を見たミスター・ダダは、「罵倒されて大結構。つまりは、これこそ観客の心をつかんだ証拠である。これこそが、アート」としたり顔だ。ご主人さまに出会えたと感動したミミは、自分も猫なりにダダイズムを受け入れ、パフォーマンスを楽しんだ。
 ひとつのアート・ムーブメントを紹介する作品として、興味深く読み入った。ダダイズムは、「俗」の無限性を模索する際たる例だろう。しかしながら、芸術とは何、また美とは何なのか。さらに知りたいことが増えた。

Mimi's Dada Catifesto

Mimi's Dada Catifesto