17 Things i'm not allowed to do anymore 大いに疑問の残る絵本

 この絵本の作者は、子育て経験がない。きっと日常的に子どもと縁のない生活を送る作家なのだろうというのが第一印象だった。正直子どもたちといっしょに読みたくなかったので、放っておいたら彼らのほうから「ママが読みたくない絵本なんてあるの〜?」と興味を持たれ、娘、息子がそれぞれ別々に読んでいた。
 『17 Things I'm Not Allowed to Do Anymore』は、安っぽい娯楽映画と同様の受けを狙った絵本である。具体的な数字を謳うタイトルからして、マーケティングを知り尽くした大人が操作して作り上げたことがよくわかる。まあ、そんな毛色の違う絵本だから人々が飛びつき、雑誌で取り上げられ、図書館で予約待ちとなるんだろうけれど、わたしはいらないな、こういう絵本。
 主人公の女の子は、何歳ぐらいだろう。ジョージ・ワシントンのレポート発表をしているから、三年生ぐらいと見た。絵本は、この子の「とんでもない」発想を読者に紹介していく。そのとんでもなさの中には、いじわるで危険な場面がいくつかあり、こういう発想をする人間って、いったいどうやって育てられるのか、意識せずにはいられなかった。子どもは残虐な存在とよく言われるけれど、ここでの場面は、自然への畏敬を体験する過程に見られる「成長への残虐性」を描くものではない。わたしが気になったのは、次のような描写である。――寝ている弟の髪の毛を頭の形に沿ってホッチキスで枕に打ち止め、頭と枕をくっつける。弟の室内ばきの裏にボンドのりを塗りつけじゅうたんをボンドの海にする。授業中、虫眼鏡で太陽熱を集め友だちのはいている靴に発火する。死んだハエを製氷皿に入れて氷を作り、弟が飲んでしまう。お皿に盛られたマッシュド・ポテトの山にお人形を頭から突っ込み「お母さんが火山に落ちた悲しい話」をするetc.――。劇画チックなペン画に実写コラージュが使用され情景がさらにリアルに見えてくるから、その分気分が悪くなった。
 最後に母子の愛情を描いておしまいという『No, David! (Caldecott Honor Book)』(邦訳『だめよ、デイビッド (児童図書館・絵本の部屋)*1)と同じ効果を狙った意図はわかるけれど、これはデイビッドとは正反対の世界だよ。
 疑問符だらけで読み終えた後、ジャケットフラップのうたい文句を読み再び唖然。「アイデアのたくさん詰まったこの子を見てごらん。最高のアイデア、すばらしいアイデアがいっぱいだ。この天才ぶりがわからないなんて、とっても残念……」。この場合「天才的アイデア」は嫉妬、思慕の裏返しでもあるが、それにしてもいい勘違いじゃないか。子どもは面白いと言うだろうけれど、TV娯楽と同様、ただそれだけの絵本。(asukab)
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  • 実用系書籍を執筆している作者の初絵本。画家はいい仕事してきているのになあ

17 Things I'm Not Allowed to Do Anymore

17 Things I'm Not Allowed to Do Anymore