Wilfrid Gordon McDonald Partridge おばあちゃんのきおく

 『Wilfrid Gordon McDonald Partridge (Public Television Storytime Books)』に出会ったのは、確か2年生の教室で。国語(synthesizing)のときだったと思います。このやけに長いタイトルは、小さな男の子の名前です。絵本は、高齢者施設のお隣りに住む男の子ウィルフリッド・ゴードン・マクドナルド・パトリッジとおじいちゃん、おばあちゃんたちのふれあいを描きます。
 オルガンを弾くジョーダンおばあちゃん、怖いお話をしてくれるホスキングおじいちゃん、クリケットに夢中のティペットおじいちゃん、木の杖をついて歩くミッチェルおばあちゃん、巨人のように大きな声で話すドライスデールおじいちゃん。でも、ウィルフリッドが一番好きなおばあちゃんはナンシー・アリソン・デラコート・クーパーおばあちゃんでした。なぜって? だって、自分と同じで4つも名前を持っているからです。そんな理由から親しみを覚えるナンシーおばあちゃんには何でも話すことができました。でもある日、ウィルフリッドは96歳のナンシーおばあちゃんに「記憶」が無くなりかけていることを知ります。「きおくってなに?」――問いかけが始まりました。
 この質問に答えたおじいちゃん、おばあちゃんたちの一言がすてきです。「あたたかいもの」「むかしむかしのもの」「そのおかげで泣いてしまうもの」「そのおかげて笑えるもの」「おうごんのように大切なもの」――。みんなに聞いた後で、ウィルフリッドは家に戻り、ずっと昔の夏に拾った貝殻や、人気のあった毛虫のあやつり人形、おじいちゃんからもらったメダルなど、自分の思い出の品々を取り出して、ナンシーおばあちゃんに届けようとしました。人間の記憶とは何なのか。ページをめくるたび、自分も問わずにはいられません。
 何年か前、施設に入居していた義理の曾祖母に面会したシーンを思い出しました。それはちょうど、昼下がりのカフェテリア。首をうなだれ車椅子に座ったままの老人たちが、陽光に射され気持ちよさそうに居眠りしていました。まるで天国へ昇る順番を、列を成して待っているかのように。そこには思い出は、一方的な方向からしか存在しません。それでものどかな陽だまりに身を置くと、流れる時間が全てを集約してくれたように思います。ウィルフリッドの思い出に流れた時間も、それを手にしたナンシーおばあちゃんに流れ始めました……。 
 七色に描かれる光の透明感は、オーストラリアの風そのものです。きらきら光るきらめきの中で交わされるウィルフリッドと老人たちの会話には懐かしさが横たわり、現代の語り部メム・フォックスにかかるとこのような珠玉の名作が生まれるのだとあらためて感じました。ふれあい、時間、柔らかな水彩が描く老人と少年――絵本を開くたびに、熱くこみ上げる気持ちの高ぶりを覚えます。
 日本語は日野原先生が訳され、『おばあちゃんのきおく (講談社の翻訳絵本)』として出ていました。日本語で読むとまた感動もひとしおなのでしょう。今から邦訳を手にするのが楽しみです。(asukab)
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Wilfrid Gordon McDonald Partridge (Public Television Storytime Books)

Wilfrid Gordon McDonald Partridge (Public Television Storytime Books)