「Charlie and the Chocolate Factory」鑑賞ノート

 ちょうど3週間ほど前、主人も子どもの頃楽しんだという昔の「Willy Wonka and the Chocolate Factory」(1971年)のビデオを見て、うちはチョコレートづいていた。これでジョニー・デップのウィリー・ウォンカも楽しめそうなムードになる。初公開の週末を避け、明けた火曜日に家族で「Charlie and the Chocolate Factory」を観に行った。率直に……これはこれは、想像以上のでき! この手の映画にはうるさい主人まで上出来とほめていた。息子とはさっそく、DVDが出たら買うという約束を取り決める。わたしも欲しいもの、この内容なら。
 原作本のほかに30年前に映画化されビデオも出ている作品を今風にアレンジするには工夫が必要だったことだろう。でも、そこは特殊撮影とジョニー・デップの魅力でカバー。彼以外の出演者たちもキャラクターが生きていて、何度もおなかの底から笑いがこみ上げてきた。原作者ダールが脚本を担当した前作をクラシック・ミュージカル&珠玉の名作とすれば、こちらは、現代風ファンタジー&親子・家族ストーリーという感じになるか。今回深さを生み出していたのは、ジョニー・デップ扮するウィリー・ウォンカと彼の父親との関係。ときおり彼が少年期を回想する場面は、主人公チャーリー・バケットの家族と対照をなして胸を熱くさせられた。ここは、原作、前作にはない部分なので、今作の魅力といえる。プロット・ポイントが生きていた。
 わたしのお気に入りは、バケット一家のだんらん風景。貧しいけれど温もり、明るさ、思いやりのいっぱいつまった家族で、会話を聞いているだけでもじ〜んとくる。ヨーロッパの哀愁を漂わせる両親がロンドン下町の雰囲気でキュートだったなあ。そして何よりも笑いを誘う祖父母たちと、彼らの笑顔に包まれる純粋無垢なチャーリーが愛しくなった。
 他の子どもたちの配役もぴったり。映画は誇張表現がおもしろいのだが、ジョージアから来たViolet Beauregardeと母親の南部っぽいファッション・しぐさや、コロラドから来たテレビ好きMike Teaveeと高校の地理教師である父親との関係などは、今の米国を表しているようでおかしかったり、考えさせられたり。バケット一家、ウィリー・ウォンカの父子関係も含め、作品は原作以上に現代の親子事情を客観視してやんわり皮肉る姿勢を貫く。甘い味付けをした終わり方が機知に富んでいて、とてもよかった。冬向きのお話なのに、夏公開というのがちょっと不思議。クリスマスにもう一度見たい、心温まる現代の寓話である。
 チャーリーの傾いた家での撮影は床が斜めになっているため滑り止めをつけて撮影したとか、リスが木の実を割るところはトレーニングを積んだリスを使いあとはコンピュータで画面処理をしたとか……、息子の購読する雑誌にいろいろ裏話が出ていて、そんな予備知識も作品を楽しむ理由になったかもしれない。前作の「ウンパ・ルンパ」の歌はリズムに特徴があり一度聞いたら忘れられないような歌なので、これが聞けなかったと娘は残念がっていた。工場入り口でセルロイドのおもちゃが焼ける場面があるけれど、これはちょっと彼女には見せたくなかったイメージ。でも、ウィリー・ウォンカの奇妙で奇抜なキャラクター作りには一役買った場面なんだろう。一方で、彼の子ども時代を代弁する映像だったのかもしれないとも思えた。(asukab)