『Seedfolks』by Paul Fleischman 読書ノート

 豆の収穫が終わったことから、『Seedfolks』を読む。
 米国都市部には、生まれた国、話す言葉もさまざまな人々が集まる。よそ者同士の住む場所は自立のために精一杯な人々のるつぼとなり、正直、隣りにいる人間などどうでもいいという気質さえ生まれてくる。典型的な米国の一面を投影しながらも、1粒の種から生まれたコミュニティーの可能性とそこに暮らす人々の姿をさわやかに描くのがこの小作品。置かれた状況の異なる老若男女13人が、菜園にそよぐ緑の目に見えない力を語る。
 場所はオハイオ州クリーブランド市。きっかけは、1人の少女の植えた豆の種だった。中国系ベトナム人の彼女は父親の死という現実の中で、何かを見出そうと空き地に種を植えた。春まだ浅く肌寒い季節、その姿を見た人がひとり、ふたり。少女の行為に吸い込まれるように、人々はごみ溜めで野菜や花を育てはじめる。息子を銃弾で失った父親、英語のまったく話せない家族を世話するグアテマラ人の少年、行動派の黒人女性、クリーニング店を強盗に襲われた韓国人女性……。知らないもの同士が植物を育てることで心を通わせていく過程は、春から夏にかけて荒れ果てた貧困街の一角が少しずつ緑で埋められていくイメージとみごとに重なり合う。
 こういう作品は、日本語(邦訳『種をまく人』)でも読みたいと思った。特にこの季節に読めば、緑の生命力や偉大さがさらに実感できるだろう。(asukab)

Seedfolks

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