レディ・エジソン

 『Marvelous Mattie: How Margaret E. Knight Became an Inventor』は、米国人女性発明家マーガレット・E・ナイト(1838-1914)の伝記絵本。少女期から発明家として自立するまでの活躍と苦難の日々を事実に即して描く。息子がちょうど滑車やてこ、歯車など機械部品を用いたコラージュ作成の宿題に取り組んでいたので、読むには最適のタイミングだった。
 亡き父親の道具箱を愛用し、少女マッティが作り出したものはたくさんある。2人の兄に風車や動くおもちゃ、凧、お母さんに手製の足温器を贈ったりした。母親が切り盛りする貧しい家庭はマッティが11歳のとき、紡績工場のあるニューハンプシャー州マンチェスターに引っ越す。ここで米国産業革命期の機械生産力を目にしたマッティは、以後持って生まれた発明の才能を発揮し始める。
 小学校を卒業し12歳で働き始めた当時の児童就労の状況に、息子はまず興味を示した。それはそうだろう。自分と同じ年齢の子どもたちが、朝4時半から夜7時半まで低賃金で労働搾取されているのだから。そこでのエピソードも忘れられない。機織の杼(ひ)が機械から飛び出して就労者が怪我をする事故は日常茶飯事。この事故を回避しようと杼を受け止めるガード装備を提案したマッティのアイデアに、わたしも息子もうなるばかりだった。12歳の女の子が、工場の事故を激減させたのである。その後、彼女は困難を乗り越え、紙袋生産の機械を発明するなど、社会に貢献していくことになる。
 男尊女卑が色濃く残る時代、「女に機械が分かるはずがない」発想がふつうにまかり通っていた社会状況の中で、マッティは「レディ・エジソン」と称えられるようになった。「女性版」と呼ばれること自体、引っかかる面もあるのだが、男性の作り上げた社会機構に生きるのだから自然といえば自然か。
 "Woman's Journal"(Dec. 2, 1872), "New York Times"(1930)に、彼女の記事が取り上げられている。わたしは同性として、息子は同年の子どもとして、マッティの生き方に感銘を受けた。(asukab)

Marvelous Mattie: How Margaret E. Knight Became an Inventor

Marvelous Mattie: How Margaret E. Knight Became an Inventor