手帖

 小学生のころ、親友のおかあさんが「暮しの手帖」という生活雑誌を講読していた。彼女の家にはこの雑誌がきちんと数字の順に本棚に並んでいて、遊びに行くたび本棚の周りに漂う整然とした雰囲気に心がしんと落ち着いたものだった。暮らしの手帖――手書きのような昔風フォントに惹かれ、当時のわたしでも「家庭」というイメージに染み付いたあたたかいノスタルジーを感じていた。その中で子ども心にも疑問に感じたことがひとつ。雑誌のタイトルについてなのだが、「どうして『手帳』という漢字があるのに『手帖』なんだろう」――。
 その疑問は以来一度も解かれることがなく、なんとなくこっちのほうが心地よさそうだからという類の理由となって現在に至っている。そして今米国の地で、手帖は大きな意味を持つようになった。英語に囲まれる日々の中、日本語の彩りにあらためて魅せられこれからの人生母語を大切にして生きていかねばと気づかされたのだ。そのために、心に残る言葉や気になる言葉、惹かれた言葉を書きとめておきたい。こうしてノートを持ち歩きメモを取り、次に好きなことを文章で記録しようと絵本ブログを開設し、そして最後に心のつれづれを紙と鉛筆のメモ書きではなく少しばかり清書という形を意識して綴りたいとこのブログを思い立った。
 だから「ことのは手帖」は、心の落書き帖と呼べるかもしれない。でも、気のついたときに言葉を書き込み、日々顔を合わせていると、その中からすてきなイメージの飛び出すこともある。言葉と言葉のイメージからどんな創造が生まれるのか、この手帖にはそんな愉しみもある。
 昨日図書館に足を運んだら、思いがけない出会いがあった。雑誌「暮しの手帖」との再会である。しかも、米国地方都市のとある小さな一図書館で。思いもよらない空間上の設定が、喜びをさらに大きくした。ハングルやアラビア文字の新聞・雑誌に混じり日本語の雑誌が一種類。それがこの雑誌だったのだ。バックナンバーなら貸し出し可能ということなので、さっそく二冊借りることにする。お節づくりのコツ、贈り物の包み方……etc.今のわたしに必要な生活アドバイスが、落ち着いた写真と文章により静かに語られる。せわしい年の瀬に、ぽっと明かりの灯ったようなうれしさに包まれた。
 「手帖」という表現は、やはり特別だった。ブログで絵本手帖を始め一年以上がたつけれど、思いを托すわたしの手帖は、やはり「手帖」だったのである。