自分の中の分数

 一年の半分を契約ライター(分野はスポーツ)、六分の五を公立小学校のチューター(学習指導員)として過ごす自分についてときどき考える。子育て中はどこにもシフトができず、つまり中途半端で「プロ」とは呼べない自分がいるなあと落胆することが多い。しかしその一方で、これほど美味しいところ取りもないでしょ――どれもすごく勉強になっておもしろい――と開き直る楽観も存在する。
 現在のところ複数の分数に隔てられている自分だけれど、今しばらくこの状態で進むことにする。100%と呼べる域に入り込む日を夢見て。
 将来的に考えると、チューターは老年期を迎えるまで続けるだろう。必要とされているのがわかるし、自分の使命である。本音を言えば、担任のような責任がないので気が楽だ。小学校で「生きた絵本」に触れられるのも特権だと思う。絵本好きの自分に、現場は貴重な体験を施してくれる。