やまあらしぼうやのクリスマス

 『やまあらしぼうやのクリスマス』は、降誕劇に出たいのに動物たちから仲間はずれにされるやまあらしぼうやが主人公。意地悪される様子が痛かった。劇に出たいと告白したやまあらしぼうやを、他の動物たちがどうあしらったかの実況中継は以下のとおり。

「だめだよ」きつねが いいました。
「おまえの やるやくなんて ないよ。
とっても かっこわるいんだもん」
「それに わたでつくったゆきが きみのとげに くっついちゃうよ」
しまりすが いいました。
「きらきらの かざりもね」うさぎも いいました。
「ぶたいがかりなら なれるよ」くまのこが いいました。
「そうじがかりなんて どう」ねずみが いうと、
「それがいいわ。よごれたかざりを とげでひろうのよ」
りすも いいました。
「そして ごみばこに いれるってわけさ」こぶたも いいました。
……「やーい とげとげボール! とげボール!」

 初版は1982年の絵本。時代性なのだろうか。とにかく動物たちの意地悪振りは、クリスマス降誕劇の意味をはなから踏みにじっている。クリスマスを背景にこういう状況を目にするのって残念だなと想いながら読み――もちろん最後にやまあらしぼうやは大切な働きをしてみんなから一目を置かれるのだけれど――結末がわかっていたとしても、会話の流れから正直気持ちが沈んでいった。
 相手の気持ちを思いやって接すること。自分が言われたり、されたら嫌なことは人にも言わないし、しない。みんなで仲良くする。仲間はずれにしない。……こういう社会性、市民性を子どもたちはわかっているはずなのに、実際には行動できなかったり、集団になると更にできなかったり。頭で理解しているだけで、心で感じていない証明が見事に表れている。
 加えて不自然に感じたのは、この動物たちの意地悪シーンに大人がまったく存在しないこと。設定自体が子どもにとり「安全な場所」に描かれていないので、最初から最後まで暗い気分で読むことになった。安全というのは設備的なことだけでなく、心的に迫害されない状況も含む。米国の学校はこの種の安全環境保全にうるさいので、ここに出てくる四半世紀近く前の子ども関係がどうしても受け入れられなかった。やまあらし母さんの存在が唯一の救い。
 これが実態だと言わんばかりなのか。子どもの残虐性を描いているわけ? だとしたら、あまりにも哀しい。つまり、親のあり方が問われた絵本なのかも。(asukab)
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  • 表紙カバーは幸せそうなやまあらしぼうやが描かれる別のイラスト

やまあらしぼうやのクリスマス

やまあらしぼうやのクリスマス