タバコという視覚イメージについての雑感

愛煙家おじいさん登場、児童誌が販売中止に(読売新聞) - Yahoo!ニュース 愛煙家おじいさん登場、児童誌が販売中止に(読売新聞) - Yahoo!ニュース
 この記事を読んで、先日記した「子どもの本、すべからぬ法」*1云々を思い出した。タバコは米国であれば確実に問題視される視覚イメージだろう。ピューリタンのふるさとというか、立法国家米国では線引きする部分は明確にくっきりはっきりと示される。情状酌量みたいな緩さとか曖昧さが存在しにくいというか。
 「タバコ、アルコールは有害、武器、血は暴力の象徴」で、子どもを取り巻く環境でこれらの視覚イメージはご法度だ。小さな頃に触れていると大人になった際、悪影響を及ぼすからというのがその理由。統制の取れた善良な市民社会と違ってここはさまざまな意見が飛び交う多様文化社会ゆえ、個々の子どもを正す価値観が明快に見当たらない。よって単純に「体に有害なものは最初から根こそぎ触れさせない」というのが基本姿勢になる。
 とは言え、親がアルコール・薬物中毒、日々暴力メディア漬けの家庭環境で暮らす子どもは貧困地区に多く、政府がどれだけ率先して正しいあり方を提示しても底辺の「負」の部分はなくならない。いつまでたっても悪循環が現状だ。そこで多様な文化背景の家庭で育ったオバマ大統領に期待がかかるわけなのだが。
 日本は一人の子どもをしっかりケアしてくれる大人が(たとえ直接にはいなくてもどこかには)存在する社会なので愛煙家のおじいさんのイメージがそれほど大袈裟になるとは思わなかった。しかも普通のタバコではなくて、パイプを燻らせる姿であるし。でもタバコ礼賛表現があれば、米国では明らかに教育団体からクレームが付くだろう。と言うよりも、それ以前に出版に至らない。
 そういえば日本の絵本には、どこかにタバコの描かれた絵が多かったことを思い出した。息子が小さな頃、親としていつも一番に「そこに」目が行ってしまったからよく覚えている。日本の絵本を避けるようになった理由には、「すべからぬ法」に引っかかる絵本が多く心地悪かったことも挙げられる。米国に住むと、痛いように見えてしまう部分。
 何はともあれ、この記事を読んで日本社会の米国化をおぼろげながらに感じた。
 追記:愛煙家おじいさんが販売禁止になるのなら、あの上半身裸の「ぶらぶらばあさん」はどうなのだろうと思いきや、品切れの様子。米国だったら、図書館には置けない絵本。