ケイジャン文化のハートに触れる『Love, Cajun style』by Diane Les Becquets 読書ノート

 渡米以来、ケイジャン文化にはずっと興味があった。フランス系、カトリック、カリブ文化との融合、ニューオリンズ、料理、音楽、MardiGras……など、米国の中でも際立った独自の文化を誇りにしているルイジアナ州は、何だかいつも気になる存在だった。主人は、テキサス州ダラス出身。南部生まれの彼から聞く保守的なテキサンと隣接するのに色の異なるケイジャンの話はとても興味深い。そして、今度のハリケーン被害……。
 『Love, Cajun Style』は、この週末に一気読み。大人への一歩を踏み出そうとする女の子たちの心情が、米南部ルイジアナ州メキシコ湾岸沿いの田舎町を舞台に描かれる。本書のテーマは、タイトルにもあるようにずばり「愛」。しかも副題に「a saucy novel」とあるから、淡い恋だけじゃなく濃厚な愛も描かれる。
 高校12年生進級を9月に控え、主人公ルーシー・ボーレガードは親友マリー・ジョーダン、イーヴィと高校生活最後の夏休みを迎えている。ボーイフレンドのこと、両親のことなど、胸に抱く思いはそれぞれだが、たとえ卒業しても友情が永遠であることを願う気持ちはいっしょだった。
 心の安らぎを探し求める3人の関心事は、「愛」とは何なのかということ。ギフトショップを経営する父とピアノ教師である母の少し冷め切った関係は、ルーシーの日常にひっそり影を落としていた。そんなとき、デトロイトから画家サヴォイ父子が引っ越してくる。ビクター・サヴォイは癌で妻を失ったばかりの男やもめで、ルーシーの母と親しくなり始めた。父母の姿、恋愛とはまったく縁のなかった叔母タンテ・パールの恋、高齢者同士の結婚、イーヴィの両親の別居などさまざまな人間模様を通して、ルーシーは愛や人生への考察を繰り返す。中でも、赴任してきたばかりの演劇部教師バンクスのルーシーへの接近は、別人のような自分を体験する衝撃的なできごとになる。罪の意識にさいなまれる彼女を理解していたのは、サヴォイの息子で音楽的才能に恵まれるデューイだった。芸術の奥深さを知るデューイの存在は、ルーシーにとり心の安らぎになっていく。ときに作中劇「A Midsummer Madness」と重なり合いながら、形の異なる「愛」は真夏のルイジアナに、ホットに浮かび上がる。
 まずしょっぱなからケイジャン文化のおおらかさにショックを受ける。冒頭、3人娘は海岸ではしゃぎながら友情を分かち合うのだが、このとき彼女たちは全裸。(主人に言わせると、とにかく暑いので何も身に着けないんだそう。加えて田舎だからまわりに人は誰もいないし。)しかも、マリー・ジョーダンのボーイフレンドが友だちと車でやってきて、洋服・下着いっさいを持ち去ってしまうのである。ただ単純に困らせようという目的で。仕方がないので、彼女たちは近くに住んでいるルーシーの叔母の家まで全裸で自転車をこいで行く。途中、車2台がこの姿を目撃するのだが、露出に対して寛大な文化なんだろう、別に大事には至らないのである。この第1、2章は信じられなくて、読みながら何度も目を疑ってしまった。(さらに、全裸は平気なのに処女性となるとカトリックの影響から?一大関心事となる視点にも驚かされた。わたしは聖公会育ちだから推測しかできないが、土地により宗教がさまざまな文化性を帯びることは事実だろう。)
 町で交わされる女性たちの会話からは、「女が女であることに喜びを感じる文化性」が顕著に表れる。料理上手、きちんとした身だしなみ、下着と香水に気を使う女らしさ――これが、人生を円滑に運ぶ秘密……といったメッセージがあちらこちらから伝わってきた。ふ〜む、確かにこういう原始的自然体の発想には一理ある。幸せな家庭生活を考えるとき、内と外の魅力で求め合う男女関係は不可欠だもの。でも、これは年を取ってから感じたことで、若いときは気づけなかったなあ。たとえばB.B.キングには15人の妻がいることを考えると、女の幸せとは何なのか混乱する。男女関係においてストレートなケイジャン流の恋愛に魅力を感じるとともに、いまだ他人事でしかない部分も残る。
 ルーシーはまっさらな心を持つ素直な女の子で、優しい心の持ち主デューイとお似合い。2人のやりとりがさわやかで、この会話部分は何度も読み返してしまった。高校生に限らず、すべての女性が楽しめる小説じゃないか。
 海岸の風景、食感をそそる料理の描写が、ルイジアナらしさを出していた。ハリケーンの後、町の光景は変わってしまったのかもしれないが。(asukab)

Love, Cajun Style

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