月、巨人の恋、大きな声の女の子、音楽の魔法

 楽しい絵本に出会ってしまった。『Carolinda Clatter!』はとても評判がいいので注目をしていた絵本である。子どもたちといっしょに一読して、十分に納得できた。たとえて言えば、子どもに身近なもの、興味のあるもの、楽しいものがお重の中にぎゅっと詰められているような絵本だろうか。ふたを開けると、悠久の時の流れに乗って、魅力あるお話が始まる。どこから食べてもいろんな味がそれぞれに味わえて、お話の終るころには満腹になっている感じだ。
 中心となる登場人物は、月に恋する巨人と大きな声の女の子キャロリンダ・クラッター。「clatter」は、騒々しいとかうるさい、おしゃべりという意味だから、さしあたり「キャロリンダ・オシャベリー」?
 冒頭には、寂しそうな巨人がひとり。透き通った月の光に魅せられて、月に恋をする。巨人は5千年間、歌を歌い踊りながら想いを伝えるけれど恋は成就しない。悲しむ巨人は大地に仰向けになり、1万年もの間、嘆き続けた。こうするうちに巨人は眠りに落ち、100年の間に体は草におおわれ、1万年後には目が池に、こぼれ落ちる涙は滝と化した。そして10万年後、人間たちがやってくる。彼らは山を指差して、「この山は巨人が眠っているような形をしているから小さな声で話さないと、いつ巨人が目をさますかわからない」と戒め合う。音をたてないように、静かに静かに気をつけながら、人間たちは巨人のおへそのあたりに町を作った。町の名前はプッピクトン(イディッシュ語で「おへそ」という意味だそう。)プッピクトンの町では音を出してはいけないから、動物も鳴かないし、音楽もない。そこにある日、キャロリンダ・クラッターが誕生する。キャロリンダは生まれながらの大声の持ち主だった。オギャア、オギャア、オギャア!……
 最初、娘に読んでいたところ、いつの間にか隣の部屋にいた息子がやってきて2人で最後まで聞き入り、見入ってくれた。う〜む、お話の力が秘められた作品じゃないと、こういう現象は起きない。年齢差のある2人を魅了した要因は何か。考えてみると……:子どもに身近なもの=月、山、町/子どもの興味を引くもの=巨人、大きな数(ここでは年数、時の流れ)、山と化した巨人の風景/楽しいもの=小さな声で話す町の人たちとうるさいキャロリンダの対比……などが巧みに織り成され、世にもユニークなお話に仕上がったということだろうか。小さな声は小さな活字で示されるので、キャロリンダの大胆なふるまいがさらに強調される。こういう箇所は読む側も、演出のしがいがあるなあ。イラストも愉快で、キャロリンダや町の人々の表情、眠る巨人の山は、最後まで子どもを引き付けていた。帰結には音楽のすばらしさが高らかにうたわれ、わたし好みである。お話がおもしろいし、すてきなメッセージが掲げられているし、大勢で読んでも絶対に盛り上がる。
 音楽といえば……、息子のバイオリンはどうなっただろう。だいたい、市内一のオーケストラを有するE中ジュニアオーケストラの首席奏者に選ばれた時点で、すでに選出ミスだったんじゃないかと親としては感じている。こんなに練習しないのに、コンサートマスターなど務まるはずがない。本日、彼は次席奏者の挑戦を受けて、たぶん首席の地位を失っているはずである。首席は親としても責任とプレッシャーを感じていたから、正直なところホッ。本人もそこのところはよくわかっているみたいで、別にどの席でもいいらしい。定期演奏会で首席で演奏する姿も見てみたかったけど、今は競争よりも楽しむほうを優先して欲しいな。(asukab)

Carolinda Clatter!

Carolinda Clatter!