クロンダイクに沸いた時代

 アリス・プロベンセンがクロンダイク・ゴールドラッシュを描いた!――これは必読という意気込みで『Klondike Gold』を手にする。シアトル史はアラスカ金鉱抜きには語れないので、地元素材の作品と聞けば知らないうちに熱くなってしまう。こうして収穫感謝前夜は、主人を囲んでのおはなし会になった。娘は毛糸の機織りに夢中になっていて、おまけでその場にいた感じだったけど。
 しかしながら、地元民の視点から見ると少々期待はずれに終る。抜けていたものは何か――、それはたぶん、クロンダイクの「厳しさ」。これは、主人もそう言っていた。
 物語は、架空の主人公ビル・ハウウェルの語りで進む歴史フィクションである。基にした書籍が『Two Years in the Klondike and Alaskan Gold-Fields, 1896-1898: A Thrilling Narrative of Life in the Gold Mines and Camps (Classic Reprint Series (Univ of Alaska Pr), No 5)』と他2冊ということなので、ほとんどこの手記と内容が同じと考えていいのだろう。読後の違和感は、たぶんこの視点の違いから生じたと思う。ほんの一握りだった成功者の話を物語化したことが、そもそもクロンダイクの実態を見えなくさせている。
 1897年春に始まったクロンダイク金鉱ラッシュがカリフォルニアやコロラドのそれと一線を画す点は、地形と気候が生む自然の厳しさにあった。1年分の生活用品・食料を背負い込み目的地に到達するまで、あるいは運良く「金」を手にしても帰還する間にどれほどの人が命を落としたか。ほとんどの人が何も手にできなかった悲惨な金鉱ラッシュがクロンダイクの姿なので、絵本に描かれるサクセス・ストーリーは個人的にアメリカン・ドリーム提唱としか思えない。困難から命を落とした人々のことにも触れられていたけれど、何というか「ハート」が感じられない描写に終っている。プロベンセンの実力とクロンダイクの歴史となれば、名作しか残らない印象だったのだけれど。『シェイカー通りの人びと*1のような哀切とぬくもりと余韻が感じられない。
 ハウウェルは相棒ジョーと2人で東部バーモント州からシアトル経由でアラスカに向かうのだが、ジョーがカリフォルニア金鉱の体験者だったことが成功の伏線になる。クロンダイクに向かった人々のほとんどは素人で、厳寒のアウトドア生活やその状況下での発掘作業を甘くみた彼らが悲惨な結果を導いたともいわれているから。いかにも簡単そうに見せかけ煽り立てた、地元メディアの責任もある。
 プロベンセンのクロンダイク絵本が、なぜただの読み物――展開は上部にハウウェルたちの物語と、下部に史実解説が入る2層で進められて面白いが――に終ってしまったのか。ハートの感じられない理由は、作者が本から学んで作品制作をした姿勢にあるかもしれない。シアトルやユーコンに足を運び、実際何か起きたのか目で確かめ、人から話を聞いたら、こうはならなかったんじゃないか。ということで読了後、歴史フィクションの意義をあらためて感じた。血の通う人とのつながりがベースになければ、作品からハートは伝わらないということだ。巻末に解説が入れば、また異なる印象にもなったと思え残念だ。
 ヨーロッパ人の視点のみで語られる傾向ありのゴールドラッシュだが、アラスカ先住民族の生活もこの史実から大きな影響を受けた。行き過ぎた狩猟、伐採のため土地が荒らされ生活が貧困化したこと、探鉱者たちの案内役、荷物運びで生計を立てていたことなども説明があればよかったと思った。
 でも、こういう地元史に関わる絵本は大切にしたい。(シアトルの歴史・産業博物館サイトで調べたところ)たとえば1899年、シアトル港に戻った汽船ロアノーク号の金積載量は当時の価格で$4百万ドル(4億円以上)。この額を聞いてしまえば、命をかけてクロンダイクを目指した人々の夢が理解できそう?(asukab)

Klondike Gold

Klondike Gold