ケロちゃんのおはなし

 子どもといっしょに時間を過ごしていると、こういう毎日がずっと続けばいいなとしみじみする。同じ日々が永遠に続くことなどありえないのだけど。万物流転は自然の成り行きである。子どもの成長とわたしの老いが当然の変化とわかっていても、穏便な生活から生まれる安堵感とか喜びとかが不変であればいいな、とつい願ってしまう。
 だからなのかな、『A Froggy Fable』のかえるが、新しいこと――らっこが池に住み始めたり、カケスが上の木に引っ越してきたりしたこと――を鬱陶しがった気持ちに即、同情した。でも、わたしとかえるの違いは、たぶん年齢。このかえるはまだ青がえる。一方的に嫌悪感を示し、状況を嘆くのだから。そんなかえるが少年に捕まえられた経験を通して、変わっていった。
 作者の自己体験から生まれたというささやかな寓話は、なかなか示唆するところが多かった。今のわたしは最後のかえるのはず。でも、変わるものと変わらないものを同時に愛している自分がいる。加齢とともにこの視点が、どう変わっていくのか。それとも、変わらないのか。万物流転かな。(asukab)

A Froggy Fable

A Froggy Fable