読み聞かせに規制?

 信じられない記事を読んだ。米国ならまず考えられないこと。読み聞かせ(読み語り)の1番の目的は、子どもに楽しい時間を過ごしてもらうことなのに、規制には子どもへの視線がまったく感じられず、大人を守る配慮ばかりだった。
 フランネル・ボードでお話をするときも、切り抜いたフェルトピースが二次的著作物って? 作者は自分の創作がそのような文化的活動に利用されることで子どもたちへの奉仕ができ、喜んでいるはず。少なくとも米国で児童文学者と呼ばれる人たちは、どんどん利用して欲しいと願っている。だって、それが子どもたちの幸せにつながるのだから。そこに喜びを感じるのが、児童文学者じゃないの? ケイト・ディカミロの言葉を聞かせてあげたい。
 さまざまな人間の集まった米国社会だからこそ、本は教育に大切な存在だと位置づけられている。日本のローカル事情は米国と異なるから規制という発想になるのだろうか。それにしても、みんなで子どもを育まなきゃいけないところなのに。自分の作品を利用してもらえるなんて、最高の名誉なのに。作家がストーリータイムに対して著作権がどうのこうのって、ここでは聞いたことがない。逆に、フランネル・ボードやパペットを利用したストーリータイムはどんどん奨励されている。キャラクターの型コピーなど、『コピーキャット』や『メイルボックス』などの教案雑誌に毎号掲載されるほどだし。自分で描いて作れば、さらに「よく頑張りましたね!」なんてほめられたりするし。営利であれば行使されるのだろうけれど、そうでなければ子どもにかかわるところでこういう発想を抱くって人間的にすごく恥ずかしいことだ。
 著作権法に基づくこのガイドは、本来の読み語りの目的を真っ向から踏みにじっている。子どもたちが1番の犠牲者になる。(asukab)