ストーリータイム(おはなし会)での改変に寄せて

 昨日の記事について、再び考えてみた。規定を打ち出した理由は「著作者が不快と感じる改変がある」ということだった。きっと事例があるから、ガイド作りに至ったのだろう。改変が不快でなければ、こうはならなかったはず。
 なぜ、不快な改変が生まれるか。この背景に子どもの本に対する日米概念の違いがある。米国では「子どもの本=教育」、日本では「子どもの本=娯楽」。勉強は「小さな頃から本を読み、体験し、学ぶもの」とする米国(書籍教育主義)と、勉強は「教科書や問題集に任せておけばいい」という日本(書籍娯楽主義)の違いが現れたのではないか。
 子どもや教育に関わることで「不快」を生み出すことがあれば、米国ではそれこそ大人として見識を疑われるだろう。日本では娯楽ゆえ、ときに見境を失うほどふざけてしまう状況が生まれるのかもしれない。
 もちろんすべてが上記のとおりとは限らないが、そんな傾向があるのではないかと感じた。(asukab)