先輩、灰谷健次郎さん

 人生を振り返るとき、その後の歩みに影響を及ぼす決定的な出会いというのが必ずある。わたしの場合、最初の出会いは大学時代にあった。それまで自分だけの世界で生きてきた価値観に、そうでない世界を見せてくれた四年間は、自己破壊と再生を体験できた貴重な歳月だった。
 絵本に関して言えば、十八年間「自分や親といっしょに存在する絵本」という内的関係に、他者の存在を気づかせてもらえたこと――。外的存在に気づけたことが、わたしと絵本との再出発になる。きっかけは同じ教会に籍を置いていた二人の先輩だった。ゼミの教授が今江祥智さんや灰谷健次郎さん、谷川俊太郎さんと親しく、機会あるごとに著名作家の話を自分の人生観と交えて聞かせてくれた先輩。教会の付属幼稚園に勤務しながら大学院に通い、キリスト教の視点から幼児教育について熱く語ってくれた先輩。「絵本って、ただかわいいもの?」と疑問を投げかけられ、思えばここから絵本をめぐる試行錯誤が始まった。彼女たちから耳にすることを息として吸っては吐き自分のものとするまでにかなりの時間を要したが、現在のわたしを生成するためにこれほど直接的で核となる体験はなかったと思う。
 灰谷健次郎さんの訃報を知り、二人の先輩の顔が浮かんだ。灰谷さんの生き方や先輩たちの価値観から学んだことは、子どもと触れ合う現場を持ち続けるということ。そして、その中で自分の道を模索するということ――わたしの場合、神の御名において。移民層、社会的貧困層の子どもたちを学校教育の中で支援する現在の働きは、そんな学生時代の日々の上に成り立っている。
 灰谷健次郎さんに謹んで哀悼の意を表します。(asukab)