小さな ぎんのほし

クリスマスの1日目

 『小さなぎんのほし (絵本の時間)』は、ずっと読みたいと思っていた絵本。タイトルの響きにすでにかけがえのないクリスマスの思いが込められていて、雪の舞う冬空に凛と澄んだ鈴の音が聴こえてくるようだった。着物姿の女の子からも察せられるとおり、絵本には日本の昔のクリスマスが描かれる。

おばあちゃんの こどものころは、
サンタ・クロースもこなかった。
おいしい ケーキも なかったよ。
昔はクリスマスのことを"ナタラのまつり"といったけど、
やっぱり まちどおしい たのしい日だったね…

 舞台はキリシタンの町、長崎。おばあちゃんが孫娘のふみちゃんに、昔のクリスマスを語り始めた。イブの夕、子どもたちは早く寝床に入り、夜10時の鐘の音で目を覚ます。新しい着物に着替え、提灯を手にお御堂に向かい、ミサに出席。翌日モミの木に飾られた神父さま手作りの飾りをいただくことが子どもたちの密かな楽しみだった。ところが、5歳のクリスマスのこと。おばあちゃんは病気で礼拝に出られず、お友だちが神父さまから飾りをいただいたのに自分だけもらえずにいた。でも、心やさしい神父さまが雪の中を訪ねてくださって……。
 雪の風景、星の瞬く夜空、簡素な室内、その中に浮かぶ子どもたちの笑顔のなんと眩いこと。物にあふれたクリスマスしか知らない現代の子どもたちが、おばあちゃんのクリスマスを知ったらどんな思いを抱くだろう。クリスマスを厳かに喜び迎えた子どもたちの気持ちを共有して欲しいな……とほのかに願うのだが。
 一方、巻末に記された戦国時代キリシタン兵たちのクリスマス・エピソードも興味深い。大阪・堺に在中したフロイス神父の「この日ばかりはいくさを忘れて、イエズスさまのお誕生を祝おう」という呼びかけにより、70名ばかりの侍たちが刀や鉄砲を置いて、聖堂に集まったという。敵・味方の立場を忘れ神父の説教を聞き、夜を明かして楽しく語り合い、翌朝またそれぞれの陣営に戻って帰った話は、第一次世界大戦独軍による戦場のクリスマス*1,*2と同様のメッセージを持つ。人間の弱さ、愚かさを浮き彫りにし、宗教の役割を強調する。
 ところで隠れキリシタンについて。自分の田舎では「三田」姓を「ミタ」とは読まず「サンタ」と読んでいた。歴史家によると「三田(サンタ)」姓は隠れキリシタンの末裔で、キリスト教徒の「saint=聖(サンタ/セント)」を隠すために付けた苗字ということだったけれど、実際のところどうだったのだろう。(asukab)

  • わたしは母や祖母が過ごしたであろう昔のクリスマスを思い浮かべた。自分の思い出の中でも簡素な聖堂での厳かな礼拝が懐かしい

小さなぎんのほし (絵本の時間)

小さなぎんのほし (絵本の時間)