フィアボ――おはなしのすきな まっかな さかな

クリスマスの11日目

 お正月3日目。子どもたちが、小猫のギャビを予防接種に連れて行った際、金魚2匹とかたつむり1匹を買ってきた。よって夕の食卓にはお重の隣りに、我が家に仲間入りしたばかりの金魚とかたつむりの入った水槽が並ぶ。新しい環境で、何だかまん丸なお目目がさらに丸くなっているような。名前はどうしようか。1匹がオレンジ色のふっくらとした金魚、もう1匹が背中に黒い筋の入った細めの小さな金魚、そして乳白色のかたつむり……。必然的に同時に目に入るお節料理の色・形とイメージが重なり合い、それぞれに「みかん」「にぼし」「さといも」という命名がなされた。なますの入ったみかん釜、田作りのにぼし、お煮しめの里芋が一役買ってくれ、めでたしめでたし。
 そんなわけで本日、娘と『フィアボ―おはなしのすきなまっかなさかな』を読んだ。去年の暮れ、クリスマス絵本といっしょに注文しておいた絵本なのだけど、まるでお正月に出番があることを予知していたかのようなタイミングではないか――。などと思いながら表紙に目をやると、そこには小さなお魚の切り抜きがあり、カバーをはずすと絵本本体の表紙には大きな赤いお魚フィアボさんが登場する。仕掛け絵本ではないけれど、手書きの題名といい、遊び心の感じられる切抜きといい、『スイミー―ちいさなかしこいさかなのはなし』を想起させる「おはなしのすきな まっかな さかな」という副題といい、なんとなくただ者ではない雰囲気を漂わせる絵本……。自分で焼いたクッキーをかじりながら娘はワクワク。グレイニエツさんといえば、『お月さまってどんなあじ?*1や『クレリア―えだのうえでおきたできごと*2で随分楽しませてもらったものね。
 真っ赤な魚のフィアボは、おとぎ話を話すのがとても上手。フィアボの話す声を聞くだけで、魚の子どもたちは、くーすー、くーすー、くーすーすーすー――心地よく眠りに誘われていく。フィアボは海の森の中、静かで暗い場所に一匹たたずみ、次の日に話すお話を考えるのが大好きだった。ところがある日、その隠れ場所に、まぶしい黄色い魚が迷いこんで来た。「なんてきれいな さかなだろう!」。

にひきは、みつめあいながら
ゆっくりゆっくり
ちかづいていきました。
ずっとそばまで ちかづいた にひきは、
くちとくちを そうっとあわせて あいさつをしました。
そして、ながいあいだ そうしていました。
そのよる にひきは おおきなはっぱのうえに
ならんで ねむりました。

 不思議な雰囲気を漂わせる秘密は、「恋」というテーマにあったのだ。2匹が出会った翌朝、黄色い魚はいなくなってしまうのだが、それからと言うもの、フィアボは人(魚)が変わったかのように黄色い魚を求めて彷徨うことになる。大好きだったお話もせずに。
 黄色い魚の去った後には、「きらきらひかる、まるいもの」が残っていて、わたしはこれが何なのか皆目わからずにいた。でも、娘は「これは卵だね!」。なるほど〜、そう見ると最後のできごととうまくつながるので、彼女の先見の明、直感的に言い当てた感性に大拍手。すでに絵本を読んで内容を知っていたわたしと言えば、わけの分からないお話だなあと煙に巻かれたような読後感を抱いていたのだった。画風が長新太風ということもあり、ナンセンスな展開という印象が強かった。
 こうして娘と読み合わせ何度も振り返るうちに、絵本フィアボの世界が噛み砕けるようになってきた。これは、深く純粋な愛を謳った一匹の魚の恋の絵本。おおらかであたたかな気持ちに包まれる、うれしい恋の絵本である。娘の一言がなければ、深く心の底から温まるこの気持ちは味わえなかった、感謝!(asukab)
amazon:Michael Grejniec

  • 画風が変わっていてびっくり。というか、長新太風を狙ったのでしょうか。バレンタインにもいいと思うな

フィアボ―おはなしのすきなまっかなさかな

フィアボ―おはなしのすきなまっかなさかな