おやすみカウントダウンの絵本

 娘の昨夜の宿題絵本は、モリー・バングの『Ten, Nine, Eight』。10からカウントダウンしながら、子どもを眠りに誘う子守歌のような絵本である。息子が小さな頃はよく読んでいたけれど、娘には随分長い間ご無沙汰させてしまった。主人公は女の子だというのに。
 10本の足の指から始まって、9匹のぬいぐるみ、8枚の窓ガラス(外には雪が舞っている)、7足の靴……。部屋の風景からは、その家の音や匂いが伝わってきて、これだけゆったりできれば眠りの世界にもすっと入っていけるというもの。部屋の中の「数」や「探し物」って、静けさと安らぎで就寝前の子どもを包む魔法の対象であることがよくわかる。(asukab)

Ten, Nine, Eight

Ten, Nine, Eight

きゃっ、きゃっと遊んで、おやすみなさい

 こちらは、10からキスのカウントダウン。『おやすみのキッス (講談社の翻訳絵本)』は原書で手にして、かわいいなあと思っていた絵本。表紙が印象的なのだ。カレン・カッツは、米国の赤ちゃん・幼児絵本定番作家という感がある。
 これを日本語で読むと、これがさらにかわいい〜。こういう幼児の世界は、(わたしには)日本語の方がぐっと親しみやすい。最初は小さな指にそーっと10回キス、次にぱたぱた動く足に笑いながら9回キス、ぽっちゃりしたひざにすばやく8回キス、かわいいおへそに7回にぎやかなキス……。ぐずっていた赤ちゃんに、家族みんながちゅっちゅっとハートマークを残しながらキスをしていく。
 赤ちゃん絵本だけれど、実はこれ、娘も息子も大好きで、次は自分にキスしてと盛んにリクエストをしてくる。ちゅっとするときの副詞の部分を、絵本のとおりに演出するのがすごい楽しい。足へのキスは汚れていたりして「え〜っ」の反応をすると、「えへへ」と嬉しそうなおふざけ顔。お風呂上りが楽しいと思う。(asukab)

おやすみのキッス (講談社の翻訳絵本)

おやすみのキッス (講談社の翻訳絵本)

米国暮らしの絵本手帖〜翻訳絵本に寄せて〜

 最近、加齢と共に「絵本は絶対日本語でなければだめ!」とこだわるようになってきた。日本語で読むのと、英語で読むのとでは、わたし自身の感じ方がまったく違うのだ。心への響き方が違う。
 韻を踏む詩や長文の作品はむしろ英語の方がいいと感じるけれど、日常が描かれる作品、口語・会話が登場する作品は日本語でないと感性が反応しないことが多い。単純で短い作品は、特に。そんな理由から、翻訳絵本に寄せる期待はますます膨らんでしまう。
 自分で日本語に直してみることもあるけれど、この作業ばかりは心と言葉の芸術家に託す方がいい。言葉の深さ、輝き方など質が全く異なってくる。(asukab)

四季の絵本手帖『はなのすきなうし』

はなのすきなうし (岩波の子どもの本 (11))

はなのすきなうし (岩波の子どもの本 (11))

 昔、スペインのある牧場にフェルジナンドという子牛がいました。他の牛たちは毎日、飛んだり、跳ねたり、頭を突きあったりしているのに、フェルジナンドはいつも草の上に座り静かに花の匂いをかいでいました。
 猛々しい牛たちと気の優しい牛――さまざまな個性を目の前にして、子どもは素直に違いを受け止めます。特異性を意識するのは、むしろ大人の方でしょう。しかし、フェルジナンドの母親は立派でした。一日中、花の匂いをかいでいる息子を見て、寂しくないかしらと心配はするものの、本人から「ひとり、はなのにおいをかいでいるほうが、すきなんです」と聞いて、そのまま好きなようにさせてあげたのです。
 ある日、運悪くクマ蜂の上に腰を下ろしてしまったフェルジナンドは突然走った痛みに驚き暴れ、どう猛な牛と間違えられて闘牛場へ連れて行かれてしまいます。偶然のできごとから場違いの舞台に引き出されてしまったフェルジナンドはどうなるのか。けれども、どこにいても結局、フェルジナンドは花の好きな牛のままでした。
 本人が幸せであることに勝ることはありません。それをとうに知っていたフェルジナンドの母親に、敬意を表したくなる絵本です。闘牛場やスペインの村々、町並みに、異国文化への興味も高まることでしょう。(asukab)